僧璨(そうさん、生年不詳~606年11月20日)は、中国・隋代の僧。禅宗の第三祖。
僧璨の伝記としては、独孤及(?~777年)が撰した「隋故鏡智禅師碑銘并序」が知られる。それより先、7世紀半ばに成立した道宣の『続高僧伝』では、法沖伝の文中に、慧可の弟子として璨禅師があったことが記され、また、弁義(541年~606年)の伝中にも、僧璨禅師が登場しているが、璨という名の僧の専伝は立てられていない。
一方、禅宗の四祖道信に関する『続高僧伝』の記述を見ても、何処からともなくやって来た二僧が、カン公山で修禅しており、そこを訪れた道信が、以後10年の間、その二僧より禅法を受けた、という記述があるのみであり、僧璨という固有名詞は記されていない。
道信の師を僧璨とするのは、8世紀初期に成立した禅の灯史である『楞伽師資記』や『伝法宝紀』である。また、「信心銘」の撰者を僧璨に擬するのは、百丈懐海(749年~814年)であり、それ以前には遡り得ない。つまり、時代が遡るほど、僧璨に関する伝記と呼べるようなものは少なくなってしまい、その実像を窺い知ることは、できない状態にある。むしろ、菩提達磨を東伝の初祖とし、慧可を経て「東山法門」の人々に受け継がれた、とされる禅の正系を結びつけるために必要とされたのが、第三祖僧璨であった、という見方も成り立つのである。
