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智顗 - 中国データベース


智顗(ちぎ)は、中国の僧侶。天台宗の実質的な開祖であるが、慧文、慧思に次いで第三祖とされている(竜樹を開祖とし慧文を第二、慧思を第三、智顗を第四祖とする場合もある)。智者大師ともいう。

潁川の陳氏として、草州華容(湖南省華容県)に生まれた。18歳で出家し、天嘉元年(560年)光州大蘇山で慧思に学ぶ。

光大2年(568年)から7年間、金陵の瓦官寺で『法華経』や『大智度論』を講義。

太建7年(575年)からは浙江省天台山に登って天台教学を確立した。南朝陳の同族であるため、皇帝や貴族層からの信任が厚く、要請により、至徳2年(584年)再び金陵に出て、光宅寺で『法華文句』を講義した。

陳末の兵乱を廬山に避け、開皇11年(591年)隋の晋王の懇請で晋王に菩薩戒、「總持」の法名を授け、晋王から「智者」号を賜わった。また、三論宗の嘉祥大師吉蔵とも交遊した。

その後、荊州に玉泉寺を開創して『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』の天台三大部を講義した。ほかにも『観音玄義』、『観音義疏』、『金光明玄義』、『金光明文句』、『観無量寿経疏』の天台五小部を講義した。いずれも弟子の章安灌頂により筆録される。

10年ぶりに天台山に帰り、国清寺を修復して教団の生活規定を制定した。煬帝の要請で『維摩経疏』を著述し、揚州に向かう途中、(596年)西門石城寺で入滅。



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