邯鄲市は河北省南部に位置する地級市。
戦国時代の趙の首府であり、日本ではとりわけ『邯鄲の夢』『邯鄲の歩み』の故事によって有名である。
- 総面積:12,062km²
- 海抜:33~1899m
- 電話番号:0310
- 郵便番号:056002
- ナンバープレート:冀D
- 行政区画代碼:130400
- 市花:月季
歴史 
もともとの名は邯であり、同名の山に由来した。衛に属する街だったが、晋に占領され、戦国時代に趙の首府が晋陽(太原市)から移され大いに栄え、後に邯鄲と改められた。
また、邯鄲は秦の始皇帝誕生の地である。秦は趙に対し人質として王・昭襄王の孫、子楚(後の荘襄王)を差し出したが、大商人呂不韋は子楚の非凡さを見抜き身元を救い出し、後に後見人として勢力を振るった。彼は自分の愛人を子楚に与え、生まれた子が政、後の始皇帝である。(政の父が誰であるかについては始皇帝の項も参照)始皇帝は趙を滅ぼした後一度だけ邯鄲に入城し、生母の敵たちを皆生き埋めにしたと言う。
その後、陳勝・呉広の乱が起こり趙が復興するものの、秦の将軍章邯により趙に邯鄲に籠城されては困るとのことで邯鄲占領後に邯鄲を徹底的に破壊した。
前漢時代には邯鄲は復興し当時の五大都市のひとつとなったが、相次ぐ戦乱により衰退し、唐代以後は単なる鎮となった。
市となったのは1953年と遅いが、1980年代以降に急速に拡大し、石炭生産により鉄鋼業などに燃料を供給して一大工業都市となった。また日用磁器生産では唐山市を抜き、中国北部最大の生産地となっている。しかし一方で、市の西の太行山脈に発し、市街地を貫いて北へ流れる滏陽河(ふようが、海河水系の支流)では、上流での過剰な取水と生活排水や工場廃水の投棄により断流や水質汚濁が起こり、重大な公害問題になっている。
観光 
- 趙王城跡
市の南西にあり、宮殿建築群の基壇が残っている。 - 武霊叢台
趙の時代に軍や歌舞の観閲のために建造されたが、眺めがよく後に楼閣が建てられ、多くの漢詩にうたわれた。 - 黄梁夢呂仙祠
街外れにある楼閣で、『邯鄲の夢』(黄梁夢)に出てくる道士・呂翁を祀る。 - 響堂山石窟
- 趙苑
- 媧(女咼)皇宮
教育 
- 河北工程学院
