高山族(こうざんぞく)は広義には、台湾原住民の総称、狭義には台湾原住民のうち漢化(漢人化、漢文化化)しなかった部族の総称。漢化が進んだものは平埔族と呼ばれる。主に台湾省台湾島の山間部、東部沿海地帯と蘭嶼島に住んでいる。

高山族という民族の呼称は、1945年以降、台湾の少数民族に対する中国人民の総称である。それには「雅美」、「阿美」、「賽夏」、「泰雅」、「布農」、「曹」、「排湾」、「卑南」、「平埔」などの呼称の人たちが含まれる。居住地区が異なっているため、言語、習わし、服飾などには大きな違いがある。台湾では、高山族の人びとはわずか2%ぐらいしか占めていないが、最も早くから台湾で生活していた人たちである。大体紀元前3万年から1.5万年までの旧石器時代に、台湾の台南「左鎮人」が台湾全域に移住するようになった。その頃から、高山族の祖先は祖国の宝の島といわれる台湾で生活するようになった。高山族のルーツは主に大陸南東部沿海一帯の古越人の一派であり、その後フィリピン群島と琉球群島から来た少数の住民と融合して形成された、とみられている。今でも高山族の人びとはたとえば顔に入れ墨を施し、歯に穴を開け、耳に骨などを通す習わしなど自民族の特色を保っている。高山族の人びとは主に農業、林業、狩猟に従事し、そのうち雅美人の人たちは主に魚を取ることにたずさわっている。高山族の人びとは台湾当局の支配の下で、「山胞」(平地の山胞と山地の山胞に分けられている)と称されている。一部の山胞は都市に入って暮らし、生活と文化に大きな変化が生じている。
言語
高山族の言葉を使用し、南島語系、インドネシア語族に属する。泰耶爾(泰雅)、鄒(曹)、排湾の3つの語群があり、20以上の言語を有し、今なお使されているのは13種の言語である。異なった呼称の高山族の人たちは異なった言語を使っている。
この民族は文字を持たない。
台湾の高山族
台湾原住民のうち、山地や東海岸や離島に居住し、漢人への同化が進まなかった民族を指す総称だが、現在はほとんど用いられない。人口は約40万人。清朝時代には「生番」、日本統治時代初期には「生蕃」、日本統治時代中期からは「高砂族」と呼称された。
中国の高山族
中国に移住した高山族は、ショオ族、満州族、回族等に次ぐ福建省の主要な少数民族として中国政府に公認されている。2000年の第5次全国人口普査統計では人口は4,461人で、中国政府が公認する56の民族の中で55番目。