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龔自珍 - 中国データベース

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龔自珍



龔自珍(きょう・じちん、1792年8月22日~1841年)は清代中国の学者。字は爾玉、または璱人。定盦(あん)と号する。後に名を改め、鞏祚ともいう。

段玉裁の婿であった麗正の子として、仁和(浙江省杭州市)に生まれる。道光帝の時に進士となり、礼部主事となる。12歳の時に祖父の段玉裁について『説文』を学び、さらに劉逢禄に教えを受け、金石・官制・目録の学に通じ、今文派の中堅として公羊学の勃興をもたらした。

龔自珍の著書で最も影響力があったのは『春秋決事比』6巻と『五経大義始終論』・『答問九章』であり、友人であった魏源の著書とともに文章の妙で清代末期の学界を風靡した。文体の剽窃を難じられることもあったが、その学派の流行は後に康有為を輩出した。

西北の地理に関心を抱き、『西域行省議』・『蒙古図志』は魏源の『海国図志』とならび称された。また『定盦文集』に見える農宗論は、農本主義に基づく社会政策を強調したもので、龔自珍の政治傾向をうかがうことができる。晩年は彭紹升に私淑して壌歸子と称し『龍蔵考證』・『三普銷文記』をあらわし仏教(天台宗)に傾倒した。龔自珍や魏源は、仏説を採用して公羊学の方向を定め、後に公羊学派は公然と仏弟子を称し、康有為は孔子をイエス・キリストと同一視するまでになった。


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