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太原市



太原市は山西省の省都。中国の古都の一つで、2500年の歴史がある。

  • 総面積:6,956km²
  • 電話番号:351
  • 郵便番号:030000
  • ナンバープレート:晋A
  • 行政区画代碼:140100
  • 市樹:槐
  • 市花:菊

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太原市は黄土高原の東部、太原盆地の北端に位置し、北・西・東の三方を山に囲まれている。山西最大の河川である汾河が北から南へ約100kmにわたり市域を貫く。汾河は静楽地区で市域に入り西から東へ流れ、上蘭村で南へ折れ、太原市街地を南北に流れている。市域の中部と南部は汾河が形成した北高南低で簸箕の形をした河谷平原が広がる。汾河の支流には瀟河、屯蘭河、大川河、柳林河、凌井河、楊興河などがある。

海抜は最高で2,670m、最低点は760m、平均海抜は800mほど。市域は山と丘陵地が中心で、平地と川は面積のうち5分の1を占めている。盆地内の地形は平坦で土壌も肥沃であり、古くから農業が発達してきた。

現在の耕地面積は210万畝で、山林面積は83万畝、草地面積は187万畝。主な農作物はコムギ、イネ、トウモロコシ、コーリャン、豆、イモなど。また野菜、綿花、甜菜、薬草、アブラナなどの商品作物も産する。

山麓では泉が湧き水は比較的豊富。市域内には大きな池沼が六つあり、晋陽湖が最大の湖になっている。汾河の両岸には工業用水や農業用水を運ぶ用水路が広がる。

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気候 anchor.png

太原市は温帯の大陸性気候に属する。標高約800mの高原地帯に位置し年間を通じて乾燥している。雨季にあたる夏季には降水が観測されるが、降水量が限定的である。秋から春までが乾季に相当し、その期間の降水は殆ど観測されない。そのため郊外の黄土高原は砂漠化が進行しており、また粒子の細かい黄土が飛散し、特に春季には砂嵐による視界不良となることもある。

年平均気温は9度から11度で、年のうち霜のない時期は140日から190日、氷の張る時期は120日ほど。平均降水量は456mm。

初夏には柳の綿が飛び交い、真夏には気温は30度近くまで気温が上がるが湿度が低いため過ごしやすい気候となる。10月の国慶節頃には気温は10度近くまで下がり、冬季はマイナス30度近くまで気温が下がることもある。冬場の石炭煤塵によりダイヤモンドダストを見ることもできる。雪はほとんど降らないが、一度降ると気温が低いために路面が凍結し交通機能が麻痺することがある。

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歴史 anchor.png

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晋陽と春秋戦国 anchor.png

太原は山西高原を南北に貫き黄河に流れる汾河の中流にある。汾河流域にも黄河文明の遺跡が多く古くから文明が栄えた。また洛陽周辺と北京周辺を結ぶ重要な街道が汾河沿いの盆地を通るため、太原は交通の要衝でもあった。北方の遊牧民族にとって太原は中原を攻めるための拠点で、漢民族にとって太原は北方の守りの要衝であった。

太原は古くは晋陽と呼ばれ、春秋時代の大国晋の都であった。晋の有力家系・趙氏の当主趙簡子が紀元前497年に晋陽の町を築いたことが太原の歴史の始まりとされる。紀元前455年(周貞定王十四年)、有力家系のひとつ智氏の智伯瑤は趙氏を攻め、汾河の水で趙襄子のいる晋陽城に水攻めを行ったが(晋陽の戦い)、趙襄子は智氏の軍に従って来た魏氏の当主・魏駒(魏桓子)と韓氏の当主・韓虎(韓康子)に寝返り工作を行った。韓魏両氏の軍は堰き止めていた水を智氏の軍営に向けて流し智伯軍を破り、智伯瑤を殺した。これにより晋は事実上、趙・韓・魏の三氏によって分割統治されるようになり、戦国時代が始まる。晋の滅亡後、趙はしばらくの間引き続き晋陽に都を置いた。

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中国有数の大都市 anchor.png

秦始皇帝が中国を統一すると天下は三十六郡に分けられ、その内の太原郡の治所が晋陽に置かれた。漢は全国を十三州に分け、その内の并州(中原の真北を管轄する)の州府が晋陽に置かれた。これが太原の略称「并」の由来となっている。五胡十六国時代、華北にあり最大の勢力を誇った前秦が江南の東晋討伐の戦いを起こしたが逆に敗北し(淝水の戦い)、その後の混乱の最中に苻丕が晋陽で即位し、晋陽は長安も鄴も失った前秦の首都となったが、翌386年に西燕との戦いに出た苻丕は殺され前秦は隴西へと落ちのびた。続く南北朝時代、東魏と北斉は晋陽を別都としている。

隋の時代には長安・洛陽に次ぐ黄河流域第三の都市になっており、唐の李淵はここで起兵し唐を興した。この由緒から唐の時代に太原府は陪都として「北都」「北京」とされ、京師(西都)長安、東都洛陽に次ぐ都となり、これら三つの大都会が三都と称された。

五代十国時代には後唐が国を起こす拠点、および別都となった。当時この地域は鉄と石炭の両者を産出したため、以降、後晋後漢・後周そして宋と続く五代政権の大陸統一を支える主要な経済基盤の一つとなった。五代十国時代後期、後周の崩壊後に一時期北漢が太原を首都として成立した。「龍城」の別名はこの時代に由来しているが、979年に宋の太宗の親征軍の前に英武帝・劉継元は降伏し、徹底抗戦を続けた楊業(「楊家将」の第一代)も降伏する。太宗は火攻めと水攻めで荒廃した太原を部下の大将・潘美に再建させた。この時、城市の位置は汾河沿いの現在地へ西に数km移動している。

明および清代、山西商人(晋商)が政治との強い結びつきを得て台頭すると、太原府は華北のみならず中国の商業・金融・鉱業・工業の一大中心地となっている。

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近現代の太原 anchor.png

清末期には太原にはキリスト教宣教師や多くのキリスト教徒が住んだが、1900年の義和団の乱の際には義和団による虐殺が起こった(太原教案)。特に当時山西巡撫だった毓賢は苛烈な排外主義者でもあり義和団を用いて教会や病院を焼き払うなどした。1907年に北京と武漢を結ぶ幹線鉄道(現在の京広線)上の石家荘からの支線が太原府に到達したが、一方で中国に近代的な銀行システムが導入されたことにより山西商人は大打撃を受け、従来の金融の中心地だった太原の経済は落ち込んだ。

中華民国時代には山西軍閥の閻錫山が太原を根拠地とし、豊富な資源を生かした工業化と教育などのシステム整備を進め経済を回復させた。日中戦争では日本軍に占領され、支配地のほとんどを失った山西軍閥は弱体化し、その後の国共内戦では人民解放軍が閻錫山の軍を破り太原を占領した(中国山西省日本軍残留問題はこの時期に発生した)。

新中国建国後、太原は豊富な地下資源があることから重工業および石炭業で国家を支えた。経済開放後、老朽化した国営工場が多く海外への物流も不便だった太原は、臨海部に対して相対的に地位が低下した。さらに地域で産出される石炭を燃料にした産業構造により、深刻な大気汚染などの公害にも悩んだが、環境の改善と産業の高度化、交通基盤の整備に力を入れている。

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観光 anchor.png

  • 晋祠:市内から南西へ25kmのところに位置する、北魏の代に、最初の晋王である唐叔虞を祀った祠。中国の伝統的な庭園や唐宋代に遡る多くの殿閣や楼閣が存在する。
  • 双塔寺:絵はがきにも登場する太原のシンボルである。
  • 天龍山:石窟が残る。
  • 石碑公園:石碑を集めた公園である。市内西部に位置する。
  • 五一広場:太原駅から西方向の市内の中心部にある。周囲には映画館やデパート、商店、飲食店、ホテル、銀行が集まる。広場の地下は巨大な防空壕となっている。一部が地下商店街として開放されることもある。
  • 柳巷街:市内随一の繁華街。主要なデパートなどが集まっている。夜市が有名で、毎晩たくさんの屋台が立ち並ぶ。ケンタッキーフライドチキン太原1号店もここにある(元は出雲超市というヤオハン関連のスーパー)。
  • 迎沢公園:市内最大の公園である。大きな湖を中心に、遊園地や水族館、ホテルなどがある。
  • 児童公園:繁華街の柳巷と五一広場を結ぶ海子辺の通りにある。水脈的に迎沢公園と同じ湖がある。
  • 臥虎山公園:市内北東部に位置する。1998年に岩手県の団体から贈られた2000本の桜が植えられているが、大半が枯れてしまい80本程度しか残っていない。古い邸宅の跡地にこの地では珍しいソメイヨシノの古木があり、戦中戦後の時期に植えられたという説がある。
  • 動物園:かつては市内中心部からやや外れた北西部に存在した。臥虎山には現在、市内から移転した動物園がある。
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名産 anchor.png

  • 黒酢
  • 肉加工品
  • 果物
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太原市の行政区画 anchor.png

太原市は下部に6市轄区、1県級市、3県を管轄する。

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市轄区 anchor.png

  • 小店区
  • 迎沢区
  • 杏花嶺区
  • 尖草坪区
  • 万柏林区
  • 晋源区
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県級市 anchor.png

  • 古交市
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  • 清徐県
  • 陽曲県
  • 婁煩県
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太原市地図 anchor.png

山西省

太原市(簡体字:太原市

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経済 anchor.png

太原市は山西省の中心として商業活動も盛ん。1998年に山西華宇集団による本格的なデパート華宇購物中心(フアユーショッピングセンター)が開業。2000年に外資系としてはケンタッキーフライドチキンが初めて繁華街である柳巷に開業。続いてマクドナルドなども市内に多数オープンしている。華宇超市をはじめとして、寸草心超市、美特好などスーパーマーケットチェーンが市内に点在している。2005年にはウォルマートも開業した。また古交市の屯蘭炭鉱などで産出される石炭をエネルギー源とした工業も活発である。

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交通 anchor.png

太原市は北京と洛陽の中間にあるため非常に重要な交通の要所である。近年、高速道路の整備により、省内の自動車交通の利便性が飛躍的に高まってきている。太原はその中心地である。

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航空 anchor.png

小店区の小店鎮武宿村(市街地より約15kmのところ)に太原武宿空港があり、北京など国内各地との航空路がある。

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鉄道 anchor.png

旅客・貨物とも省内の中心である太原駅は、30年ほど前までは現在の五一広場付近にあった。太原駅の北には巨大な貨物ターミナルがある。太原駅からは国内各地への直通列車が走っており、高速鉄道計画でも石家荘から太原までの路線建設が決定された。高速鉄道は北京から五台山を通り太原に至る直行ルートも計画中である。所要時間は3時間程度を予定している。現在、市内中心部から約8km南東にある山西大学付近の北営駅の東側を新しいターミナルとなる太原南駅として、都市再開発を含めて計画が進んでいる。北京までは512km。現在のところ夜行列車で一晩、高速バスで6時間。郊外には近年まで蒸気機関車が走っていたローカル線がある。旅客運用されていない路線が大半で、工場への引き込み線も多い。

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高速列車 anchor.png

2009年4月のダイヤ改正より、北京西〜石家荘〜太原の高速列車(新幹線クラス)が運行を開始した。所要時間は約3時間半で従来より圧倒的に速達性に優れており、ダイレクトに両市の中心部を結ぶため、航空機や高速バスは大打撃を受けると見られている。太原〜瀋陽北、太原〜鄭州の高速列車もある。

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高速バス anchor.png

太原駅近く、もしくは迎沢公園横のバスターミナルより国内各地と連絡する都市間高速バスが運行されている。同一路線に複数の事業者が参入しており、サービスや値段競争が行われている。首都北京を連絡する便は夜間を除き15分おきに運行され所要時間は6時間となっている。乗車券は当日の購入も可能であるが、華宇バスのように新型車を導入しグループ内のデパートで割引チケットを販売している事業者もある。

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長距離バス anchor.png

市内数ヶ所にバスターミナルが設置され、主に省内各地との間で運行されている。高速道路を経由せずに空席状況により沿線で乗客が乗降するスタイルで、多くの荷物を屋根に載せていることが多い。

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市内交通 anchor.png

太原駅を中心に市内各所にバスやトロリーバス網が整備され、また多くのタクシーが運行されている。路線バスはかつては市の交通局により運行されていたが、近年は複数の事業者による運行が認可されている。非接触ICカードによる運賃システムは1999年より供用が開始された。地下鉄建設計画も策定されているが、現在のところ着工の具体的な計画には至っていない。郊外と連絡する鉄道路線も存在するが、1日2往復程度の運行スケジュールのため事実上利用されていない。

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メディア anchor.png

  • 山西日報
  • 太原晩報
  • 山西電視台
  • 太原電視台
  • 黄河電視台
  • 太原ケーブルテレビ
  • 山西広播電台
  • 太原広播電台
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山西省の行政区画 anchor.png

太原市大同市陽泉市長治市晋城市朔州市晋中市運城市忻州市臨汾市呂梁市


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