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葡萄酒(ブドウ酒=ワイン) - 中国酒大全

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葡萄酒(ブドウ酒=ワイン)



葡萄酒は、中国の果実酒の大半を占めている。
種類は紅葡萄酒(赤ワイン)と白葡萄酒(白ワイン)に大別され、他に山葡萄(やまブドウ)を原料とした山葡萄酒がある。

中国はワインの歴史も古く、すでに司馬遷の『史記』にも、中国の北西部でぶどうが栽培され、ワインが醸されているという記述がある。

中国にはじめてぶどうが植えられたのは前漢(紀元前206~24)のころで、後漢に入るとワインまで醸されるようになった。次の三国時代、魏の文帝曹丕は『詔群臣』のなかで、ぶどうとワインのことを、「初秋のまだ残暑の厳しいころ、酒に酔って目覚めた宿酔いの朝、露のしたたるようなぶどうを食べると、甘くても飴ではなく、すっぱくても酢ではなく、冷たくても寒くはなく、味は抜群で果汁が多く、憂いをのぞき渇をいやす。醸せば美酒となり、曲蘖は甘く快よく酔わせるが醒めやすい。これにくらべられる果実がほかにあるだろうか」と高く評価して、蒲桃の字をあてている。曹丕はまた、ぶどうから醸した酒はよだれを流し唾をのみこむほどで、ますます愛飲するようになったとも書き残しているほどであるから、かなり優美な酒質のワインだったと考えられる。しかし、当時は醸造量が少なく、宮廷でも珍品とされていた。

ワインの醸造が最盛期を迎えたのは、唐代に入ってからである。『唐書』には、ワインは西城のもので、以前は貢物として献上されていたが、知らない人が多い。太宗の貞観十四年(640)、高昌国より馬乳ぶどうがもたらされ、その種を御苑の中に植えてワインの製法を知った。酒ができてみると、匂いは強烈で味も最高である。という意味のことが書かれている。
唐朝建国の功臣魏正は、醸造されたワインのうち最も酒質のすぐれた酒に「醽醁」、「翠濤」と名付けており、太宗李世民も自作の詩で、

醽醁は蘭生に勝り
翠濤は玉薤を越え
千日酔えども醒めず
十年味をそこなわず

とうたっている。蘭生というのは漢の武帝の頃の旨酒で、玉薤は随の煬帝のときの美酒の名である。
貞観以後、ぶどうの栽培が盛んになり、唐代の詩人もぶどうやワインをうたうようになった。劉兎錫(772~842)が、玉のような種を植えて、ぶどを醸せば美酒となり、飲むのに足りなくなるほどであると詠めば、岑参(716~770)は、ぶどうが華北からしだいに南に広がっていったことをうたうといった具合である。

ぶどうが大量に植えられたことによってワインの醸造もふえ、民間へも造り方が普及していった。
初唐の詩人で、酒を飲むのに忙しくて官を辞した王績(585~644)の「過酒家」には、

竹葉は糟を連ねて翠に
葡萄は麹をおびて紅し

という一節がある。また、酒仙といわれる李白も「襄陽歌」のなかで歌っている。

遥かに見る漢水の鴨頭緑
恰も葡萄のはじめて醗醅するに似る

ワインの醸造がふえると、自然に名酒も生まれてくる。『国史補』には、唐代中期の名酒として河東(山西省の西境)の蒲陶の名が見える。
しかし、ぶどうが広く栽培されるようになったのと裏腹に、ワインは唐代で発展が止まってしまう。宋代、元代の文献からワインが消えてしまうのである。

中国の醸造史上にふたたびワインが登場するのは1892年で、山東の煙台張裕葡萄醸酒公司が外国からぶどうの新種を入れて、近代的なワイン工場をはじめてからである。それ以後、大原、青島、北京の各地に次々と工場ができたが、上流階級の需要に供されただけで発展しなかった。
解放後、約30年間に、ぶどうとワインの生産量は拡大し、酒質も向上した。


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