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口子酒



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口子酒は、安徽省淮北市産の白酒で、酒精度は54~60度。濃香タイプの大曲酒である。

この酒の生産地は安徽省淮北市濉渓鎮であるが、濉渓は古淮河の渡し口で、左に淮河をひかえ、右に渓河をのぞむ城鎮の中にあり、古くから「口子」と呼ばれている。濉渓の酒という意味で、口子酒と名付けられている。

この地方の酒も歴史が古く、春秋時代、魯の昭公の七年(紀元前535)に諸侯が渠に集まり、血をすすり酒を飲んで同盟を誓ったとき、濉渓の酒を飲んだと伝えられている。渠は濉渓から4kmほどのところにある渠溝のことである。
濉渓の酒の歴史は『宿州志』によると元代にまでさかのぼれる。当時、この地には酒監が置かれていて濉渓と渠溝の酒税を取り立てており、すでに酒の醸造が盛んに行われていた。
元の太宗、窩闊台(Ögödei:オゴデイ:俗称はオゴタイ)(1186年~1241年12月11日:在位1229年9月13日~1241年12月11日)はたいへんな酒好きで、毎日、大臣らと酒を飲んでいたが、中書令の耶律楚材から酒糟の鉄が酒に蝕まれているのを見せられ、体に良くないと諫められて以来、ぷっつりと酒をやめ、節制につとめた。そして塩や鉄と同じように、酒にも重税を課した。
はじめは10%しか税金を取り立てていなかったが、太宗三年(1231)、税制を改革して専売制度を布き、各地に収税の官府を置いた。それが酒監である。
『元史・食貨志』によると、太宗六年には酒曲の売買を禁じて密造者を罰している。酒の専売制を強化したのは、耶律楚材の画策であるという。
また、明代の濉渓の酒を賞賛した詩、「壁をへだてた千家が酔い 壜をひらけば十里に香る」は、今でも民間に伝わっている。清代になって濉河が浚渫され、船が通れるようになり、人が集まってきて濉渓も町になり、商工業が発展しはじめた。そのころ、すでに10軒以上の酒屋があったという。
そして嘉慶七年(1802)、濉河の通行がさらに容易になった。北は肅県で旧黄河に接し、南は淮河に達した。水運の発展とともに、濉渓鎮は前にもまして繁栄するようになった。酒屋も30軒に増え、濉渓酒は濉河を利用して各地へ運ばれた。
20世紀初頭に鉄道が開通すると、酒屋は急速に増えて74軒に達し、最盛期を迎えた。酒質はもちろん最良で、安徽省の名酒の名は日増しに上がっていった。しかし、1931年と1934年に青島~北京間の沿線土産物展覧会で優等賞を受けたのを最後に、戦争によって生産が低下し、1947年には酒屋は2軒だけになってしまい、濉渓の酒は絶滅寸前に陥ったが、2年後に濉渓酒廠が設立されて復活した。

濉渓酒は、濉渓高粱大曲酒の酒名で世に知られており、絶えず研究をかさね、香り、コク、旨さ、濃さなどを常に一定に保っている。そのなかの最もすぐれた酒を「口子酒」と呼んでいるのである。それは安徽省第一の名酒にあげられ、全国優良酒にも選ばれている。

口子酒の原料は、淮北産の千粒の重さが18グラム以上という豊満な高粱。小麦、大麦、えんどうの高温大曲を糖化発酵剤にし、泉水の水で醸造する。連続発酵、適温入窖、低温発酵などの工程で112日間の長期発酵の後、ゆっくりと蒸留、不純物を除いてクラス別に貯蔵し、1年以上たってからブレンドして出荷する。


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